朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

父と喫茶店

父との思い出がある。


おそらく、わたしが小学校低学年のあいだのほんの1~2年のこと。


毎週日曜日の午前中、家から歩いて5分の場所にあった''あぶらや''という名のお店に、父はわたしを連れて行った。


そのお店は昔ながらの純喫茶で、軽くトーストしたロールパンといちごジャム、フライドポテトとサラダに、店主であるママ(客の大半はおじさんでみんなそう呼んでいた)が高島屋デリカテッセンでチョイスした本格的なドイツ仕様のソーセージがついたAセットを父はいつも頼んだ。


私はそれを分けてもらい、あとは、クリームソーダを頼んでもらうのがお決まりだった。

とにかくAセットは絶品で、少食で、食べることに特に頓着のなかったわたしも、Aセットを食べたくて、クリームソーダを飲みたくて、父に着いてあぶらやへと通い続けた。


あぶらやのクリームソーダは最高だった。

ママのその日の気分で作っていたようで、メロンがくるのか、イチゴがくるのか、テーブルに運ばれてくるまでそれはわからなかった。


大きなスプーン状のスクープですくったアイスクリームがドンと乗っていて、いわゆる真っ赤に色付けされたさくらんぼが添えてあるディスプレイのクリームソーダとは違い、あぶらやのクリームソーダには、もっと大胆な趣きがあった。


子ども心に、これは!とハッと心を掴まれたし、なにより、子ども向けに作ってなどいなかったようで(クリームソーダ好きのおじさんて意外と多いのだと思う)ちゃんと、シロップを無味の炭酸水で割って作られていたことが、ママのカッコよさを物語っている。


あぶらやで父は新聞を読んでいたんじゃないかな?

あの店が好きだったのは、わたしは父につまらない質問をされることもなく、おじさんたちに絡まれることもなく、ただ黙々と好きなものを食べれる時間が流れていたからだと思う。


ママとおしゃべりを楽しむ人、ひとりマンガを読みふけってる人、新聞を読んでる父、クリームソーダに夢中なわたし


各々が思い思いの時間を楽しんでいて、誰のことも気に留めることもなく、自由な空間を共有している。


それは、いまのわたしが描く理想の空間に近いのではないだろうか。


わたしもいつか、あぶらやのママのようになれたらいいな。


いいと思うな。


最後に


わたしの記憶がどの程度正しいかはわからないが、ある日突然、あぶらやは店を閉めることになった。


理由は、ママがお客さんだった人と一緒になるため、大阪に引っ越すことになったらしい、、というその噂が、どこをどう経由してか、そもそも、そんな話を小学校低学年の子が理解できたということが全く不思議なのだが、確かにわたしの記憶に残っているということもまた、紛れもない事実なのである。



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2018.10  横浜菊名のとある家