娘が幼稚園のころ、浜文子さんという、詩人の方が、幼稚園に講演会に来てくださった。
その頃、一緒に役員をやっていたうちのひとりのお母さんが、どうしても浜先生をお呼びしたい!という熱意のもと、お越し頂くはこびとなった。
そのお母さんは、親から虐待されて育ち、心に大きな傷を負っている人だった。子育てをするなかで、思わず娘に手をあげてしまうような時、きっと、過去の自分の経験が顔を覗かせて、死ぬほど自分を責めてきたであろうことは、その人を見ていればすぐに察することができた。
わたしは彼女のことが好きだった。
その人からは、己の人生に課せられた苦しみから逃げ出さず、戦っていくという意思が感じられたからだと思う。
浜先生のメッセージはとてもシンプルだった。
抱きしめなさい、子を
誰にも遠慮することなく
あなたの子を抱きしめなさい
※だきなさい 子をより抜粋
こんな簡単なことが、これだけでいい、これさえしていれば、ということが、わたしもずっとできなかった。
なぜできなかったのか?
それは、自分で自分を抱きしめられなかったからだ。
弱い自分を、惨めな自分を、情けない自分を劣等感の塊の自分を、消え入りたい自分を、逃げ出したい自分を、今を生きていない自分を、とにかく負の自分すべてを、許し、受け入れることができなかったからだ。
人はまず自分で自分を許し受け入れることができてはじめて、他者からの愛を受け取ることができるのではないか?
自分なりに、悩み苦しんだ末、そんな答えに行き着いた。
よく巷では、わたしが行き着いた、''まずは自分を愛しましょう''のメッセージを目にすることはある。
だが恐らく、自分を愛せない人間は、それってどうすればいいんだよ?それができないから苦しんでいるんじゃねーか!と怒りが湧く人も多いのではないだろうか。
わたしはそんな人たちに囁きたい。
とりあえず、自分の両手を広げて、自分を抱きしめてみてください、と。
これは、実際わたしがやってみたことです。
こんな風に誰かに抱きしめられたい、もしくは、誰かを抱きしめたいという気持ちで、ゆっくり優しく肩に手を回してください。
なんとなく落ちつきませんか?
愛したい。 その意思が大事だと思う。
自分を愛すことができれば、たぶん悩みの大半は解決するであろう。
不思議だが、愛せば、愛すほど、愛されたいという欲求は薄れていく。
自分の愛で十分満たされるからだと思う。
そして、同時に他者からの愛も受け取ることができるようになるのだと思う。
一応これは実証済み
ほんとうは、私たちはみな、生まれたときは愛そのもので、すべてを愛す光の存在だったのに、愛を受けとってもらえない経験が積み重なり、いつの間にか、愛に怯え、愛に飢えてしまったんだと思う。
愛したのに、愛されなかった自分がいるなら、まずはその自分を抱きしめてあげること。他者(親も含む)につけられた傷を癒せるのは、また別の誰かじゃない、自分の愛だ。
負の連鎖は自らの意思でしか断ち切れない。
これは言い換えたら、
負の連鎖は自らの意思で断ち切れる!のだ。
わたしは物事を深刻に捉えているだけとも言えるだろうし、逆に、まだまだ浅いのかも知れないし、わたしが言ってることは、誰の救いにもならないかもしれないけど、この世でたったひとり、わたしを救ってくれたので、よしとしたいと思う。
追記
浜文子さんの詩は素晴らしいです
そして、浜先生ご本人の人柄が最高です。
わたしはあの頃、浜先生に出会って救わ
れました 。
この場を使って、言わせていただきます。
先生あの時はありがとうございました!
2019.5 明治神宮御苑 睡蓮