朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

ソウルメイト2

ホールメンバーのKさんは不思議な人だった。 年齢はわたしより4つ下だったが、年上、年下、ホール、キッチン誰に対しても同じ立ち位置で接して、その日の店の雰囲気を誰よりも早く察知し、場を盛り上げる役目を自然と買ってでるようなところがあった。 Kさんは仕事に対して決して不真面目ではなかったけれど、仕事と遊びのバランスを大事にしているところがあり、その姿勢は、真面目にやって正当に評価されることを自ら拒んでいるようにも見えた。 いつも、楽しくやりたいんですよ!というようなことを言っていた その言葉どおり、彼は一緒に働く人をいちばん大事にしていた。 

わたしはKさんがいい仕事をする人だということをちゃんとわかっていたし、それを物語るひとつのエピソードがある。

ある日のランチタイムに来た、ひと目見てこの方はすごい人だな、、と感じさせる大物のオーラを纏った女性のお客様がグラスワインを頼んだときのこと。 彼女はワインの入ったグラスをライトに翳し『この店のグラスは本当にいつも綺麗なんだよね』とうれしそうに微笑みながら呟いたのだ。 わたしはそのグラスを磨いたのがKさんだということを知っていたので、思わず「あの人が磨いてるんです!」とKさんの仕事が褒められたことが嬉しくてつい余計なことを言ってしまった。 彼女は帰り際にKさんに挨拶をして帰って行ったが、Kさんという人は、そうやって自分個人を評価されることは好まない人だったことにまでその頃の私はまだ思い至らず、余計なことをしたことを後に反省したのだった。

そのお客様はそれからよく来店されるようになり、聞いたところによると、近隣のお店のママさん(というよりオーナーさんといった雰囲気の方だった)だったようで、それからはディナーオープン直後の17時付近にカウンターでひとり出勤前にワインと前菜(キャロットラペ)などを召し上がられ、いつも『美味しかったわ』と本当の笑顔を見せてくださった。わたしは、こういう方に好まれるこの店は素晴らしいな、といつも感動していた。 それは、ここで働く人たちが素晴らしいことにほかならなかったからだと思う。 

役職や微々たる給料の増加なんかより、自分の信念を大事にしているKさんの生き様はとてもカッコよかったし、何よりいいお客様に気に入られる彼が私は勝手に誇らしかった。 Kさんは常々役職やら給料やらをごちゃごちゃ言ってくる会社に対して、そういうことじゃねえんだよ!という無言の抵抗をしていて、その姿はまるで孤高の戦士のようだった。

めずらしく、Kさんと一緒にウェイターをやった日のこと。 予約のお客様が入り出す直前まで彼はふざけたことを言っては、わたしを笑わせていた。 「どうしよう、このままじゃ集中できないよ。」と言ったわたしに『大丈夫ですよ、始まったら集中させますから!』と返してきたのだ。 わたしはその台詞があまりにカッコよかったので、しばらく「あれマジでカッコよかったわ~。」と何度も言っては、彼を照れさせた。 あの言葉を言ったKさんは魂の彼だった気がしている。


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Kさんが大好きだった店の華とも言えるYちゃんのこと。 Yちゃんは見た目も可愛いく、とても意思が強く、物事をはっきり言い切る、超頑張り屋さんだった。 わたしは働き出した当初、仕事を全然覚えない上に、一度聞いたこともすぐ忘れたので、彼女をいつもイライラさせていた。 ごめんなさい、と思いながらも、Yちゃんにはっきりダメ出しをされたあとは、悔しさも込み上げてきた。 わたしはこの悔しいという感情を味わうのは、子どもの頃以来で、変な話だが、悔しさを味わわせてくれる彼女に対して、心のどこかで感謝してもいたのだ。  悔しさは自分がもっとできると自分を信じているからこそ、湧き上がる大事な感情のひとつだと思う。  もちろんその時はそんなこと思える余裕など微塵もなかったから、ただ、できない自分に劣等感を抱くことの方が大きかった。 彼女はもちろん人気者で、彼女に接客されたいお客様も大勢いらした。 それでも、彼女はいつもYさんには適わないと寂しそうに呟くことも多く、あれだけ光り輝ける人なのに、本人は自信があるといった風ではなかった。 Yさんが自分そのものである時に才能を発揮したのに対して、Yちゃんは努力で才能を開花させていたように思う。 その違いは、彼女たちの元々の気質の違いだったのではないだろうか?お互いに相手の良さを理解していて、認め合いながらも、どこか自分と違う魅力をもっている相手に、自分に足りない欠けた部分を見てしまい、それを求めてしまうような 。。 

欠けたところがあろうと、そのままで十分に有り余るほどの魅力があるのに、その自分まるごと愛せない葛藤をYちゃんの中にわたしは見ていた。  そして、彼女もまた、彼女独自の闇を抱えて生きていることがわかっていたから、仕事を教えられる立場である自分とかとっぱらって、今すぐ目の前のこの人のことを抱きしめてあげたいという衝動によく襲われたりした。 

3月に離婚が決まり、それまでの家族として最後の晩餐をわたしはこの店でしたいと、料理長に申し出た。 料理長は快く受け入れてくれ、わたしと子どもたちの3人で店に来たことがある。

その時のウェイターは、店長のYさんではなくYちゃんだった。わたしはそれまでYちゃんの接客を店の中で客観的に観察したことしかなかったが、その時はじめてお客さんとしてYちゃんから接客され、なんというかもう本当に感動したのだ。 彼女のおかげで、最後の晩餐の時間は最高に豊かな時間になったし、ひと皿ひと皿戴くごとにわたしの喜びを料理長にリアルタイムで逐一報告してもらったことで、料理長に対する言葉にはできない想いの全てを伝えることができたと思っている。 あれは、Yちゃんにしかできない神接客だったと、今でも信じて疑わない。

あの瞬間の感動を決して忘れゆくことのないように、Yちゃんの笑顔といっしょに胸の中の宝箱に大切に大切にしまっている。



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🇫🇷サラダ✨