早朝から、なにかが動き出す予感に溢れている。
とりあえず、音楽を流す。
動く。
動くが、体感に心と身体が追いついていない。
体感が先にきている。
昨夜、魂友(たまとも)から、風が擦れて笛のような音がずっとしている、と連絡がくる。
おそらく、今わたしが感じているこの感覚の、前触れ、前兆と通ずる現象のような気がした。
お昼からの仲間の踊りの前に、明治神宮を参拝。秘密の場所で、空を仰ぎ大の字になって
寝転ぶ。深い呼吸をした。
代々木公園は賑わっており、Тシャツでも過ごせるほど暖かく気持ちがよい。
Hの歌を聴く。
一瞬で世界が変わる。
あの一瞬が好きだ。
彼女に突き動かされる理由は、有無も言わせず、自分の世界(というより自分そのもの)へと引き込ませる魅惑的引力にあると思う。
憑依とまではいかないが、自分のなかにあるなんらかの要素が、彼女のなかにあるなにかと共鳴し、発露する。
そして、その発露したものを彼女の歌や踊りを通して自覚し、愕然とするのだ。
『…確かにそれはわたしにもあったじゃないか。』と。
わたしが惹かれる人物とは、どこまでもその人そのものでありながら、誰でもない人だ。
包み隠すことなく、己を前へ出しきると、確かに自分であるのに、誰でもなくなる。演じているようには見えないし、思えない。
わたしの尊敬するAさんも、そういう人だった。わたしはいつも、彼の一挙手一投足から目が離せなかった。それは、どの瞬間に、相手と自分が共鳴するのかを、逃したくなかったからかもしれない。
Aさんは料理人だったので、彼が作った料理を見て、わたしは自分にも確かにある何かを感じ取っていた。
Hと一緒にほぼ即興で演劇と歌をうたわれたYさんは、まさに、わたしが感じたことを実際に体を使ってHと交流しているように感じられた。
HによってYさんの明るくしあわせな心が引き出されているように、いくつかのシーンをキリトるならば、私の目には映った。
ご本人も『楽しかった!』と、笑顔で仰られていたので、きっと、わたしの感想に、大きなズレはないだろうと思う。
歌も踊りも素晴らしかったが、いちばん印象に残ったのは、Hが呟いた『もっと、踊りの幅を広げたいな。』のひと言だった。
彼女は自分史上最高を目指す気だ。
そういう人がたまらなく好きだ。
それは、わたしも、自分史上最高の自分を目指したいと思っているからだ。
自分の道は自分で切り拓くしかない。
誰にも助けてはもらえない。孤高の旅路だ。
けれど、道は違えど、自分だけじゃなく、頂きというゴールに向かって突き進む人たちがいる。その人たちとは、目に見えない絆で繋がっているはずで、その絆は勇気をくれる。
自分を信じ抜く勇気だ。
わたしは、今日、Hからまた新たな勇気をもらった。
感謝したいと思う。
ありがとう!
なにかが動き出す予感からはじまった一日は簡単には終わらない。
非常に重要な報告が突如入る。
予感は的中。
その報告はわたしにとって、素晴らしく輝かしい未来への切符に思えた。
そのことで、事実上も大事な節目の日になる。
青く青く透き通る透明な夕方
巨大なドラゴンの夜雲
火球の流れ星
海と星空
浮き世に浮かんでは消える
儚き束の間の夢
新しいせかいの幕開け
新しいわたしが始まる。
2020.3.11 明治神宮