朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

鎌倉

高校生の頃、よくM(前記事参照)と学校帰りに鎌倉の海に行った。

当時、鎌倉駅から由比ヶ浜に向かう道の途中にマックがあり、2階の席から見える夕暮れ時の空と海をわたしたちはあまり話さず黙って眺めていた。



その頃書いた詩がある。




鎌倉の月


鎌倉の道


海へとつづく


君の思い出




シンプルだけど、大好きな詩だ。



今日はひとり、銭洗弁天へと散歩に来た。

鎌倉は何度も来てるのに、銭洗弁天に来たのは初めて。なんとなく、ふらりと。

御祭神は 市杵島姫命 先日行った愛宕神社にも祀られていた。親は素戔嗚尊とのこと。兄弟には大国主がいる。


参拝客を眺めていたが、みな、お金をザルに入れて洗うことにしか興味がなさそう。大人は財布に入ってるお札をすべて(4~5枚きれいに並べている)洗ってる人が多いように見えた。こどもは小銭。

小学生低学年くらいの男の子が、とにかくザルに何度も何度も柄杓で水をかけまくっていて、微笑ましい。彼にとっては、ただの水遊びだ。楽しそうでよかった。

わたしは、御守りとして財布に入れてる1万円札を1枚、洗ってみた。あの男の子のようにちょっと楽しい。お賽銭はしない代わりに、100円でロウソクを買って暗い祠の中に灯りを灯す。弁天様の石像と、龍のような形の木が祀られていて、それが気になった。

別の場所に、龍神さまの石像があり、目と口を大きく開けて鎮座する姿をしばし見つめる。

お顔を触らせていただく。可愛かった。


裏山を抜け、近隣の佐助稲荷神社へ。

このブログでお馴染みのお稲荷さんだ。 


朱い鳥居と、左右に朱い幟が無数に並び、境内へと続く山道を彩っている。至る所に狐の置物が置かれている。木の根元にまである。本殿はまさにその狐の置物が無数に並べられており、ほかに類を見ない独特な雰囲気が醸し出されていた。まるで山の神様と共存しているよう。謹んでご挨拶をする。


山を下りながら、思い出したことがある。中学1年生の時に好きだった男の子に、佐助というあだ名を心の中でつけたことがある。もちろん本人には言っていない。なんとなく、やんちゃで、すばしっこく、佐助っぽい(言葉で説明できない~)子だったのだ。


わたしは昔から忍者が好きだった。藤子不二雄A氏の漫画では、ハットリくんが好きだったし、ルパンでは、五右衛門が密かに好きだった(なんとなく五右衛門が好きなのはマイナーな感じがして黙ってた)ONE PIECEは見なかったけど、NARUTOには興味があった。NARUTOではやはりサスケがカッコいいと思っている。自分の深い起源は、やはり日本にあるのだろうか。


暑い山道を歩きながら、入道雲の浮かぶ空を仰ぎ見て、民家に咲く花を愛で、蝉や鳥の鳴き声に耳を傾ける。


夏だ。


いま自分の目前に広がる景色は、いつまで変わらずにあるのだろう。夏の陽が生み出す光と影に、人間の陰と陽をみる。日本の自然には神様が宿っていることを肌で感じた。

八百万の神々に守られているこの国に生まれてきた意味を自らに問う。


あなたにも問う。



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山の神様と