朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

ハワイ

ハワイには10代の頃、いちどだけ行ったことがある。


母と7つ上の姉とわたしの3人で行った。

フリーのツアーでオアフ島を一周、市バスなどを使い、ノースショアや、ハナマウア、モアナルアガーデン(この木なんの木※知らない人は調べてちょ!の木がある場所)など、行きたい場所を自由に周る旅だった。

母は初めての海外旅行でウキウキだったし、姉は買い物やツアーの仕切り役などをしっかり務めてくれた。

当時わたしは、東京の三番町という場所にあるハワイアンレストランでバイトをしており、そこのスペアリブが激ウマだったため、本店のあるハワイでその店のスペアリブを食べることを楽しみにハワイへと向かった。

言ってみたら、ハワイにはその程度の興味しかなかった。あの頃は、アジアやヨーロッパなどの国々へと関心を寄せていた。


けれど、実際は、ホノルル空港に降り立った時に感じた南国の空気に一瞬で心奪われ、『ハワイってなんて最高なんだ!』と、いとも簡単に心変わりしたことを今もはっきりと思い出すことができる。


親友Mが作った紙粘土の人形や、陶芸をやっていた彼女の作品なんかを持ってきていて、ノースショアの浜辺に並べて趣味のカメラで撮影したりなんてあそびもした。

モノクロ写真を撮っては、自己満足に浸っていた。


今日、なぜハワイのことを思いだして記事に書いているかと言うと、最近わたしは、柔軟やヨガやダンスなど、体を動かすことにチャレンジしているのだが、今朝手作りのシナモンロールを作りながら、ふと、ハワイアンミュージックを聴いてみようと思い立ち、ゆったりとしたあの調べをきいていたら、とても心が落ち着いた。

それにより、今日のレッスンは、急遽フラダンスにチャレンジしてみよう!となったのだ。

YouTubeで良さそうな動画を見ながら、見よう見真似で踊ってみる。

すると、不思議なことに、喜びのエネルギーが体中に響き渡り、涙が溢れてきたのだ。

フラダンスにも色々有ると思うが、私が見たものは、スローなテンポの曲と振りのものだった。(あとから調べたらケアリイ・レイシェルのEOMaiという有名な曲だった)


あの滑らかな動き。優しさに満ちた神様へ捧げる喜びの振り付け。ジュディ・オングの名曲の一節、''おんなは海〜''がどこからか聴こえてくる。そう、フラダンスを踊っていて、わたしは思った。''…女は海だ、''と。


時々、言葉を遅いと感じることがあるのだが、それは、言葉を理解するには一度思考を挟む必要があるからで、踊りの場合、体感で一瞬で理解することができる。

考えて出す答えに振り回されてきた経験も数多い。だからなおさら、これからは身体をつかって、体感を研ぎ澄ましていきたい。


もっと本能的に動けるようになりたい。

いつになるかはわからないが、わかりやすく現実的な目標ができた。


''ハワイに行く!''


まだわたしはオアフ島しか行ったことがないので、もっと野性的なハワイに出会ってみたい。自分の目で見たい景色がある。

自分の心で感じたい風がある。

現地の空気を吸いながら、喜びのフラが踊れるよう、独学でフラダンスを身につけたいと思う、いまである。







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#三浦海岸  #砂浜  #花  #ハワイ



自分史

道場に置いてる新聞の端の記事になんとなく目を留めた。

そこには、この機会に''自分史を纏めてみようと思う。''というようなことが書かれていた。


……わたしはこのブログを''自叙伝を書いてみたい!''という思いだけで、去年の夏至の日に始めた。これまでに自分の人生のなかで出会えた素晴らしい人たちのことを記事にしてみたかった。実際にそれを残せたことは、かけがえのないわたしの宝になった。

今日まで続けてきたなかで、本当の自分を生き始めてからは、素晴らしい出会いと別れの連続だったなぁ〜、、と、堂々と過去を懐古することができる。


'' 生まれた時から自己責任 ''


このフレーズを採用してからは、大袈裟でもなんでもなく、自分の人生ほど面白いものは無いと思うようになった。

わたしはすでに、今世欲しいものを全部捕りに行く覚悟を決めている。覚悟を決めてしまった以上、どんなに転んだって、何度でも立ち上がり、前へと歩みを進めるのみだ。心がブレそうになる時は、人生の師であるAさんが言ってくれた『しゅりさんは芯が強い』のひと言を胸に抱き、芯が強い自分を思い出すだけでいい。


わたしの家には夢ノート的なノートがそこら中に転がっているのだが、約2年前、その一冊に書いた夢のいくつかが、最近叶っていたことに気づく。このノートは、当時伊勢神宮に行った際に買ったものだ。

女神と共に未来を創造したあの日、美しいインスピレーションが降りてきたあのときに、

わたしはわたしの神様と繋がっていた。


大きな時代の流れが変わったいま、風と共にまた新たな一歩を踏み出す時がきたことを実感している。


わたしには、ひとりひとりが自分の本当に生きたい世界の創造主として生きて欲しい!という、あまりにも分不相応な願いがある。それが叶ったら、わたしの世界がそれはそれは多種多様な個性的で美しく面白い世界になることが想像できるからだ。

正に!ひとりひとりが輝くシャイン、カンパニーである!(繋がったー)そして、シャインひとりひとりが自分史を創り上げていく姿を見ていきたい。


創造主として生きるとは、自分軸で世界をとらえるとも言える。あなたの人生の主役はあなた以外に有り得なく、どんなに有名な尊敬するあの人も、あなたの人生のなかでは、登場人物のひとりに過ぎない。あくまでも、主役は自分だ。自分を軸に生きることを決めてしまえば、誰かの人生の登場人物止まりで、人生を終えることは無くなるだろう。


これを読んだ人のなかには、『何様のつもり?』とか『めっちゃ上からだな』とか『そう思うならあなたが勝手にそう生きればいいじゃないですか?』とか思う人もいるかもしれない。

言いたいことはわかる。

確かに、そうとも言える。

感想は自由だ。


ほんとに凄い人は何も言わずにただ与えられた命を真摯に生きていることだろう。


けれどわたしは、凄い人じゃないのだ。

自分が暑苦しくて、ダサいことを自覚している。凄い人になりたいわけじゃない。誰かに支配された偽りの人生から脱却し、ほんとうの自分をあなたに生きてほしい。

それを、あなたのためじゃなく、わたしのために言っているのだ。あなたがあなたという種をそのまま生きて輝いている様をわたしは見てみたい。純粋な好奇心である。


最近、愛について様々な想いをめぐらせてわかったことは、わたしは、普遍的なひとつの真理を知りたいわけではなく、わたしが自分の愛を生きていった暁に、一体どんな境地に辿り着くのかをただ知りたいだけ、だということがわかった。


それはつまり、参考になるものはひとつもない、ということだ。


わたしがこの人生を生きていく中でしか見つけることができず、宝探しのような冒険を続けることでしか得られない。

先に教えがあって得られるものではないということ。


こんなこと考えれば考えるほど、やっぱり自分の人生がいちばん面白いに決まってる!と、妙に納得してしまう。


どんなに他者に理解されなかろうと、馬鹿にされようと、わたしだけは、わたしの創造の味方であろうと思う。


そして、自分の人生を本気で生きる人たちと共に、最高に楽しく愉快に笑って生きていきたい。



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🥑とクリーム🧀とガーリック🦐のサラダ🥗

しごと→運動→おいしいもの

最近の神ルーティン🌈




心あるもの

昨日からアンテナが冴えている。


その影響か、夜中から明け方にかけ、断続的な眠りの途中、夢をみた。


表面に現れたのは怒りだったが、もっと深いところに大事なメッセージがある夢だった気がするのだが、iPhoneにメモり忘れてもう思い出せない。


道場で店長と常連さんが、最近マスクが市場にまた出回りだしたことについて話していた。話が終わり店長がわたしに『マスクで儲けようとした奴らはしっぺ返しがくるぞ!』と言う。手づくりの布マスクが普及しだした今、すでに紙マスクの需要は衰退気味。

今までのやり方でお金儲けなど通用しないのだ。わたしは『ほんとですね。みんないま布マスクですもんね。』と答えたら、店長が『そこには心がないもんね。』とさらっと言った。


そう!いちばん大事なポイントはここだ!

心がないものはもう古い。

これからは愛の時代だ。

すべてにおいて、そこに心が感じられるかどうかが、明暗を分ける気がする。


今日、朝の仕事中、冷蔵庫に謎のカルピスが入っているのを発見した。店長に確認すると、いつもの場所にマスターからの手書きの伝言メモがあるから見てごらんと言う。


なに?なに??

『お疲れ様で御座います。カルピスを買っておきました。グラスにブロック氷4〜5個を入れ、カルピス3:牛乳5※(通常1:5)の割合で作ってみてください。わたしのお気に入りです。しゅりちゃんにも飲ませてやってください。』と書いてある。


店長と顔を見合わせ笑う。


どう考えても甘党のマスター独自の配合で作ったら激甘であることは想像にかたかったが、ひとつだけ確かなことがあった。

そう、ここには心しかなかった


この人は40年間、人を大切に仕事をしてきた。心を込めて生きてきた。コロナ特殊部隊員としての役割プラス、わたしはここに愛を学びにきたのではないか?

その視点が、今日ひとつ増えた。

時代の流れに乗るところは乗り、貫くことは貫き通している。他に影響されていない。己の心に従っている。武道の精神が根付いているんだ。


本当の想いは伝わる。

偽物の想いはバレる。


シンプルになっていく。


話は変わるが、昨日?S氏(カンパニーでお馴染み)のブログを目にした。

18歳の頃、祖父のお葬式の準備中に友人から『気を強く持ってね。』と声をかけてもらったという話だった。

わたしは高2の時、生まれて初めてお葬式に参列した。クリスチャンの友人のお父さんのお葬式だった。

小学生の頃、その友人に誘われ通い続けた日曜学校の教会で行われたその式で、わたしは友人に上記と同じ言葉をかけた。


正直言うと、わたしはその友人があまり好きではなかった。けれど、影響力の強い子で、日曜学校にも行きたくなどなかったのだが、嫌と言えずに通い続けた。

その子のお父さんが、いま正に棺のなかでまるで蝋人形のようになって横たわっている。それを目の当たりにしたあと、わたしは彼女の手を取り、『気を強く持ってね!』と、それまでただの一度も使ったことなどない言葉を口にした。彼女はちょっとビックリした顔をしていた。

その時、それまでの彼女との関係性や、楽しくなかった思い出の記憶などすべて吹っ飛んで、ただ目の前の人を力づけたい一心だったんだと思う。本来の人間関係て、そういうものなんじゃないだろうか?


真に心が動く時、思考は入る隙がない。


できることなら、いつもそのように生きていたい。


わたしはこれから、今まで以上に愛について独自に考察を深めたい。

それと同時に、いまだに謎が多い恋についても、わからないからと言って投げ捨てるのではなく、わからなさのど真ん中を、走り抜けて行きたい。



魂の冒険にラビリンスはつきものだ。




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君だけはラビリンス

Hyper Kamiokande  -Umbrella-




トワイライト






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2020.5.8  Tokyo




#自粛期間中ですが

#徒歩3分の公園で

#散歩がてらに

#自称''許される範囲内''

#カメラマンやるつもりが

#なぜかモデルに

#わたしも撮りたい

#モデル募集

#あなただけの

#アルバム

#作らせては

#もらえませんか

#撮られる練習

#しといてください





不死鳥

わたしは不死鳥なんじゃないかと思う。


今回こそは再起不能と信じて疑わない重症を負っても、星の流れと共に、たった数日後には(早い時は数時間)綺麗に傷は完治している。


今朝は4:44に目が覚めた。

じーっと何もせずに内観の時間を過ごし、はっとして時計を見たら、5:55だった。

ゾロ目は見た時に気分がいいので好きだ。

毎日仕事中に、11:11を時計で目撃するあそびをひとり楽しみにしている。

たまに会計で、1,111円か3,333円の時があると、めちゃくちゃ嬉しくなって、お客さんにも『今日はいい日になりますよ!』などと声をかけるようにしている。

みんな笑顔になってくれるので、それもまたうれしいのだ。


YouTubeサンボマスターのフェス動画が自動で出てきたのでつい見てしまう。ボーカルのあの太った人がカッコよすぎた。それを見て、''…イケメン(顔がいい人)て損してるな、''と思う。

'' 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ ''を一緒に大熱唱!家にいながら、心は時空を超え、そのフェスに飛んで、まるで会場の観客のひとりになった気分を味わった。


わたしが魂の自分を生き始めてから出会った深い縁ある男の人たちは、ひとりとして例外なく、みな音楽をやっていた。(もしくは音楽が大好きだった)

わたし自身、福岡に生まれなかった人生を恨むほど(福岡出身のミュージシャンが多いことから)ずっと音楽(バンド)をやってみたいと思っていた。

結局やらなかったから、ボーカルなのか、ギターなのか、ベースなのか、ドラムなのか、キーボードなのか、何が自分に合うかは分からずじまいだが、いまだに憧れはやまない。


福岡出身のひとりが教えてくれた、''きのこ帝国''と、''Kohh''は、彼の影響で好きになった。どちらも楽曲に孤独を感じる。わたしは、作品に静けさを感じるものが好きだ。


今日はインスピレーションが冴えまくっているので、書きたいことをどんどん書こう。


最近わたしの中で気になる土地が3つある。

そのひとつが長野だ。


わたしの尊敬するAさんが生まれ育ったところで、悪さをした日には、厳しい父親から裏山の木に括りつけられて一晩を過ごしたという話を聞かせてもらった。

Aさんの纏う静けさは、長野の山ともののけの中で培ったものだということをわたしはこの話を聞く前から、シュピリチュアルセンサーにより、薄ら理解していた。

3人姉兄の末っ子で負けず嫌いのAさんは、わたしと姉兄構成が一緒で、共通点が多かった。Aさんの夢は長野でペンションをやることだった。いまはわからないが、養子をとってもと言うほど、こどもが好きな彼は、長野の山で思う存分こどもたちを遊ばせてあげたいと考えていたのかもしれない。

わたしは彼の夢を'' 素敵な夢だな ''と、思って聞いていた。

そんなことを頭のなかで回顧していたら、店長の母親の出身地が長野だということがわかり、話が盛り上がる。さらには、父親の出身地は佐渡で、こどもの頃あそびに行くことが本当に楽しみだったという話も聞く。

店長が若かりし頃よく行っていたという、千葉の玉前神社は、わたしの母親の出身地にとても近いこともわかった。店長とも、ほんとに何かの縁があるんだろうなぁー。

じゃなきゃ、いまこうして時代の大転換期にこんなに近くにいるわけないと思う。


最近、わたしは道場に、研鑽を積むなんて建前の裏で、いい男と楽しい会話をしに行ってるところがあり、とても仕事と呼ぶには烏滸がましい。

お客さんや、スタッフからのおいしいものの差し入れ(たけのこご飯、山菜の天麩羅、ぬか漬け、崎陽軒の焼売弁当、ビックマックに、隣のベローチェコーヒーゼリーまで)に生かされているところもあり、本当に恵まれてるなぁ…と、感謝に絶えない日々を過ごしている。ここにいるのもあとどれくらいの間かはわからないが、今をしっかり生きたい。


今日は源泉が活発だ。

テレパシー交流も絶好調。


これから人物写真を撮りに行く。

カメラマンデビューも間近。



昨夜の透明な青空の十五夜に愛を捧ぐ



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Love♡Shine



触れる

最近、手当(てあて)に興味がある。


これからは特に、病院に治療に行ったら、病気をうつされて帰ってくるような気がするので、極力自力で治すことを考えたい。


お母さんが小さなこどものお腹に手をあてて『痛いの痛いの飛んでいけー』とやる、あれのようなこと。''触れること''と''魔法の言葉''のセットで、大概治る気がする。

こういうザックリとした感覚の話は、当事者がそれを信じるかどうか、そこにかかっていると思う。これで''絶対に治る!''と、やる側とやってもらう側がそれぞれ自分に暗示をかけるということ。

こどもは素直に受け取るから簡単に治る。

ならば、おとなも素直に信じてみたら治るんじゃないかしら。


思い立ったが吉日。

この想像に思いをめぐらせていたら、目の前にそれを今まさに必要とする人が現れた。

頼んでやらせていただく。


まず、うつ伏せになってリラックスしてもらう。患部(肩)と腰に手をあて、10分ほど優しく手を置き続けた。

呼吸のうまい人で、深い呼吸をしながらわたしの手を伝って流れるエネルギーをうまく受け取ってくれた。

最初から、肩は筋肉か筋を痛めているから、簡単には治らないと聞いていたため、あくまでも補助的作用を狙って行った。


終わってから『とてもリラックスできました。癒し効果は抜群ですね!』との感想をいただく。

たしかに、触れるだけで痛みを治すことは難しいのかもしれないが、確実に癒しになる手応えを得た。


ん?もしや、これってヒーラーデビューじゃないか?ついにヒーラーのターン到来!


わたしは数々の占いに基づき自己の特性を分析した結果、手にパワーがあることがわかっている。

わたしの長所のひとつに、初対面の人も、長年の付き合いの人も、変わらず接することができるという面がある。

初対面の人にまったく壁がない。

つまり、よく知らない人でも最初から相手を信用信頼することができる。当たり前かもしれないが、これができると相手からも信用される。このヒーリングを成功させるには信頼関係が鍵となる。それさえあれば、多分うまく受け取れる。(今回の被術者とも信頼関係がある)


ストレスフリーの世界の創造。

簡単に、すぐに、誰にでもできることの実例をつくりたい。


とりあえず近くにいる人で色々試してみようと思う。


話はまったく変わるが、昨日初めて自分で髪を15cm以上ザックリとセルフカットした。

肩ギリギリのボブまで自力で切ったことは人生初のこと。以前から、気に入る美容院(美容師さん)となかなか出会えなかったことと、カットとカラーで1万超える価格設定が引っかかること、長時間の拘束が苦手などの理由から、自分で切れたらいいな…との思いがあった。

しかしわたしは、母親から不器用の呪いをかけられ育ったため、どうせ自分には無理!と決めつけるところがあり、いちいちやることに躊躇するくせがある。

それが、昨日はなんの躊躇いもなく一気にハサミでザクッと切れたのだ。

これは恐らく、SNSでの発信に挑戦したことや、実際スナックをやったり、なんだかんだと行動したことにより、身についた自信のおかげだと思われた。

もちろん、最悪ダメだったら美容院に駆け込んで整えてもらえばよかったわけだから、どうにだってなるとは思っていたが、本心は自分のカットで納得したかった。

結局、修整を重ね、納得できる仕上がりまでもってこれた。


為せば成る!為さねばならぬ!何事も


まさに。


このGWはいろいろ宇宙の流れ的できごとの連続で、すでに振り返ることは無理な規模のエネルギーをつかった。

いまはちょっとお疲れモードにある。


今日はこれから、ゆっくり心と身体に向き合う時間を過ごそうと思う。



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2020.5.3   愛の夕陽

余裕

言葉で説明することはむずかしいが、いまのわたしの状態は、とてもよいようだ。


わたしの職場である人生道場は、休業せずに店を開け続けている。

創業当時から勤めている先輩スタッフ数名は、年齢的に、もしコロナになってしまうと、即座に命にかかわる危険性があるため、大事を期してお休みしている。その代わりに、コロナ特殊部隊員(実際にマスターに命名されたw)として、わたしは連日出勤している。

こちらとしては、出勤日数は多いものの、勤務時間は短いため、健康のためにも、人生の学びのためにも、働かせて頂けることはありがたい限りである。


毎朝15分ほど歩いて店まで行く道中、しっかり朝日を浴び、朝のクリーンな空気を吸い、ツバメの巣を覗き込んでは、『おはよう!』と声をかけ、店では、とにかく気持ちのいい挨拶と笑顔を心がけ、礼節を意識した動きと呼吸を極めるべく、研鑽を積む毎日だ。

武道も接客も''一期一会''

常に、次は無い気持ちで対象(お客さん)と向き合う。

歯車がすべて噛み合ったときは、非常に気分がいい。自分という存在が、活かされたと感じるからだ。同時に、相手からも受け取るものがある。


当たり前のことを当たり前にやり続けることの凄み。

わたしに、この店を築き上げた人たちの役に少しでも立てることがあるのであれば、いまの自分にできることはすべてしたい。そして、任務を終了したらサッとここを去るのだと思う。


ここで働くことが決まった当初、わたし自身に宇宙からおかれた課題だと思ったが、どうやらそうではなく、この店を、ここで働く人たちを、危機から救う任務を与えられていたのだということに最近気づいた。悪くない任務だ。あの人たちの力になれることは、わたしの喜びでもある。


帰り道に雑草の写真を撮ることもすっかり日課になり、植物との仲も深まった。

ことばの要らない世界にほっとする瞬間がある。無償の恩恵を勝手に受けとっている。

植物は恩を返して欲しい、などとは思わないだろう。''好きに生きたらいいのよ''と、美しく咲き誇る花々からの囁きがこころに届く。


『そうか。好きに生きたらいいのか。』

五感で理解する。


ことばは危うい。

その言葉のもつほんとうの意味を、自分が、相手が、体験を通して感じたことなしには、ほんとうには伝えられないし、ただしく受け取れない。

だから、本当のことばで会話ができる人はなかなかいない。


わたしは本当のことばで会話がしたいから、できないなら無理に話さなくていいな、と最近思い至っている。

けれど、嬉しいのは、本当のことばで会話ができた時だ。『そう!そう!そう!そう!』と、心の底からわかり合えたことが嬉しくて、表情とか、身振り手振りとかを交えて、全身で喜びを表現できたときは最高だ。


それを知っているから、わたしはやっぱり人に向かうのだろう。

最高な瞬間をいっぱい味わいたくて、生きているのだろう。


だって、わたしは人が好きだから。



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キラキラ星を弾いていた









魔法

わたしの愛するひとの、愛の世界が届いた。

火を灯す。今日買ってきた薔薇と共に、炎を見つめる時間を過している。


静かな揺らぎ。

パチパチと弾ける木軸の音。

薔薇に反射する光と影。


''不足など初めからない。

満たされている。''


それと同時に、


''不足しかない。

満たされることなど永遠にない。''


そう感じている自分がいる。


大いなる矛盾。

わたしの中には、おとなとこどもが同居している。好き勝手やって暴れまくりたいこどものわたしと、理性により行動を制限しようとする、おとなのわたし。

どちらか一方に偏ると、もう一方の声が大きく響き出す。


もうずっとその繰り返しだ。


こどものわたしは、とにかくあそびたくて、野原に飛び出して走り回ったり、木登りしたり、海に飛び込んだり、砂の山を作ったり、『おれについてこい!』とか言って、先頭で旗を振り回したりしているし、

おとなのわたしは、そんなことばかりしてたら、ダメだよ。生きていけないからね。と、こどものわたしをなだめ、仕事は真面目にやらなきゃ、と言いながら、平凡な毎日を送ろうとする。


どちらもわたしだ。


だけど、楽しんでるのはこどものわたしだ。嬉しさや喜びを感じることが多いのは、こどものわたしの方なのだ。


わかってる。

わかっていても、おとなのわたしが消えてなくなることもない。


伝えたいことがある。

ここに。

あふれるくらい沢山。

なのに、何ひとつ声に出せない。


魔法のキャンドルに想いを乗せる。

切な願いがどうか届きますように…


これは、おとなのわたしだ。


『カッコつけてないで思ってること言えばいいじゃん!なにが怖いの?はやく次に行こうよ。そんなことより、砂浜で走り回りたいんだよ。』


こどものわたしの声がする。


ね、ほんとそうだよね。

はやくあそびたいのにね。



困ったもんだね。



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#Aurea Magic Candles  

 ''THE FIRE PRACE''

 'One for you, One for LOVE'


Thanks for your pure Love♡






他愛ない話

ねぇねぇ、聞いて。


今朝ね、昨日壊されちゃってたツバメの巣の跡に、ツバメが帰ってきて、また巣を作ってたんだよ!

見つけたとき、あんまり嬉しくて、思わずツバメに向かって『おはよう!おかえりー!』って声に出して話しかけちゃったんだ。


わたしの声に気づいて、ちょっとこっちを見たんだよ。ほんとだよ。


あとね、

帰り道に通る公園でブランコに乗ったの。

小さい頃、ブランコでこれ以上高くいけないってとこまで高く漕ぐのが大好きだったの。

だから今日も高く高く漕いだ。

そうするとね、不思議なんだけど自然に笑っちゃうんだよ。胸がふわって、宙に浮くあの感じがなんだかくすぐったくて、面白くなってきて、笑っちゃうんだ。


隣りの滑り台をトトロのぬいぐるみを抱えた小さな女の子が滑ってた。

その子もね、ちいさく笑ってたよ。


公園では今日も、鳩がトコトコ歩いてて、

おじさんたちがお喋りしながらお弁当を食べてる。


鮮やかな躑躅のアザレアピンクが眩しくて、クレマチスの白、淡いピンクのフリージアや、マリーゴールドの橙。色とりどりの花壇を眺めた。


ブランコから飛び下りて、歩き出す。


この時期、ハナミズキが満開の木が沢山あることに気づいたんだ。


いつもの写真館の前で、ショーウィンドウに飾られてる家族写真に紛れてなぜかある、毒蝮三太夫の笑顔の写真を見ては笑って、新しいマンションの前にわざとらしく植えられてるラベンダーをちょっとちぎって、ポケットにしまったの。

忘れた頃に、ポケットからいい匂いがするとちょっと嬉しい気持ちになるって、これ、前にも話したっけ?


ねえ、聞いてる?


つまらない話だなんて言わないで。

大切な今日の思い出なんだから。


わたしが忘れても、忘れないで覚えていてね。


あなたは覚えていて、わたしがもしもいなくなっても、時々思い出しては笑ってね。




笑ってね。




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おかえり🏠



責任

ついさっきまで、元気がなかった。

通勤途中に見つけたツバメの巣が壊されてしまったことが原因だったのかもしれないが、本当のことはわからない。


一時的なコロナショックにより、いろんな気持ちを行ったり来たりしていたが、やっと本来のわたしの良さを発揮するフェーズに立ち返ってきたように思う。


そう、わたしがわたしの停滞していた能力に蹴りを入れたのは、カンパニーの時代を始めることへと意識を向け始めたからだ。


こんなとこに立ち往生している場合ではない。ひとりでも雄々しく大地に種を撒くことから始めている仲間がいる。自分という存在を打ち出して戦っている仲間もいる。何もせずともこれからの未来を創造しはじめている仲間もきっといる。


お前は何やってんだよ!

チームで勝ちに行くって言った責任はお前がとれ!その言葉に淡い夢を見た人たちの心を導いてみろ!お前の創造するせかいがカンパニーなら、あそびで勝ちにいくんだろ。今までの自分なんてどうでもいいからって、発破かけたのは、他の誰でもないお前だろ!

いつまで生ぬるい夢に浸かってんだよ。

神さまは先に最高の未来をみせてくれたんだよ。それは、お前が今世本当にやりたいことをやるために、最高の未来であるあの日に辿り着くことを決して諦めないように、自分を信じ抜く勇気を忘れないように、そのためだったんじゃないのか。

全部ほんとうはわかってんだろ。

忘れたふりしてんじゃねーよ。

いつ死ぬかわからないことがリアルになったいま、''生きてるだけでしあわせ''だなんて、そんな言葉、お前が言う必要なんかないんだよ。それはお前の役目じゃないだろ。

本来の男と女のチームプレー実現してみろよ。人生の一発逆転劇展開させてみろよ。その時がついに来たんだろ。宇宙が地球が世界が、お前の創造を求めてる。

ひとりひとりの小さな愛のせかいを実現することが、地球交響曲になることを知っているはずだ。ここは、イルカやクジラだけが友だちだった時代じゃない。肉体がある内に、やりたいことをやりたいようにやれる時間には、もう限りがある。

お前はそれがやりたいんだろう。

バーチャルな世界がリアルになってしまったら、成し得ないことをやりたいんだろう。

身体をもった人間同士で実現したいんだろう。


だったら動け!

情報を遮断して、誰かを殺してしまうかもしれない覚悟を持ってそれでも生きろ。


生きたいように生きてみろ!


生きたいように生きてみろよ!!!



……わたしには、時々こういう声が胸の内から湧き上がってくることがある。

これがハイヤーセルフの声なのだろうか。

スイッチを押したように何かが切り替わる瞬間がある。


今日この声を聞けてよかった。

できることなら、この声に従って進みたい。

みんなでいきたい世界がある。



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お前が咲かせろ!



Infinity


気づいたら自問自答の旅に出ていた。

交通機関は遮断され自由につかえないため、イマジネーションという手段による、行きたい場所と想いを巡る約10日間ほどの旅路だった。


静けさの中を独り歩く日々は、発信に偏りかけていた自分のバランスを取り戻すために、わたしのこころが求めたものだ。わたしは少し喋りすぎていた。慎ましく守るべき大切なものは心に留めておこう。


……このブログをはじめてから、10日も更新しないことは初めての試みだった。同時に連日noteにアップした絵本の朗読も、童謡の歌唱もやめた。

わたしはその状態を客観的に観察した。発信することに依存していたのであれば、不安になるのではないか?と思ったが、まったく不安にはならなかった。寧ろ安定していた。立ち止まって自分を見つめる時のなかで、誰かのためとか言って、表現をすることは違うような気がしてきた。

あくまでも自分がやりたくてやったことが、その時々にそれを必要とする誰かの胸にそっと響いたら、すこしだけ嬉しい。それが自然だし、ほんとうだ。

やはり見てくれる人の数は関係ない。大事なことは数ではなく、目に見えないほんとの想いの共有や共鳴だ。

その気持ちに行き着くと、今のわたしは、このブログを、絵本の朗読を、童謡の歌唱を、ただ自分が、やりたいときにやればいいと思えた。

それがわかったので、まずはブログを再開することにした。


この10日の間、ひたすらぼーっとすることを心がけた。

辺りを見渡せば、雨の日にも花は咲き、曇り空にも鳥は飛び、晴れた夜には木々の囁く声が聴こえた。

思考の空白が生み出したスペースは、いまは自身の源泉から湧き出た愛により満たされている。


先日、かなり久しぶりに不思議な夢をみた。

それは、貴船という場所から、船に乗ってどこかへと運ばれてゆく夢だった。船着場は人々でごった返し、わたしは愛車(なぜか自転車)と共にその船に乗り込んでいた。行き先はわからなかった。今のわたしが望む新たなパラレルワールドだったのかもしれない。


貴船というキーワードを元に検索したら、京都の貴船神社がヒットした。思わずHPを見る。なかなかの情報が入ってくる。

けれど、ここからがこれまでと違うところ。

そう。

わたしは自分の使命から勝手に卒業したのだ。使命なんて古い概念とは決別した。

(決別したが、わたしがほんとにやりたいことをやりたいようにやりだしたら、それが使命のようなものになる予感はしている。)

心に思い描くのは、軽やかで輝かしい明るい未来だけ。故に、貴船神社の情報はスルー。

神さまとの関係は続くが、これからはあくまで自分主体で動こう。

夢はただの夢。自分のいいように自由に受けとる。


さて、そんなニュースタイルの自分にいま降ってきたインスピレーションを忘れずに記しておきたい。


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カンパニーの時代が始まる

貨幣価値の衰退

食養生

衣食住 / 原点回帰

東洋医学の見直し

生命力で知識を超えてく

魅力で繋がる人間関係

創造は無限大

素人でも心技体

心に従う

こころがあれば大丈夫

つまりあなたのままで大丈夫

元気があれば喜怒哀楽

くだらない理由でいいじゃん

そんなことのために叶えたい夢とか最高

悲観に暮れてもごはんは食べたい

できることならいいものを食べたい

この人から買いたいとか、この人の作ったものがいいとか、この人の声が聞きたいとか、この人の雰囲気にほっとするとか、この人はひと味違うとか、そういうものに価値がつく

何も目指すな

ぼーっとしつづける勇気を貫け

やってくれる人には感謝

クリエイティブとは自分を生きること

あなたがいいと思われたら勝ち

人の振り見て我が振り見直せ

他者から学ぶ以上に自分に集中

与えられるまで待つ

無駄に動かない

時に、何もしないことが寄り添うことになることを忘れない


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インスピレーションとか言ったけど、いま思い浮かんだことをそのまま書きだしただけ。


わたしたちはみんな大丈夫だと思う。

なぜなら、わたしがそう決めたから。

これからは、そんな感じでいける気がする。

あくまでも、気がするお話。



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千鳥ヶ淵に憩う













深呼吸

4月に入ってから体調を崩したことにより、精神的にも不安定な日が続いた。

意識的に抜け出したくも、なかなか思うようにはいかず、悶々とする時間を過ごしていたが、遂に今日はっきりとそこから抜けたことを体感した。


自分の中心に帰ってきた感じがする。

この穏やかな空間。

風に吹かれ、空を仰ぎ、道端の花々に潤いを与えられ、深い呼吸ができはじめる。

外側の何にも影響されない聖域で寛いでいる自分がいる。

ここから見渡す世界は優しくあたたかい。


ひさしぶりに水天宮までサイクリングがてら赴く。新大橋の上のベンチで隅田川の流れや、空を飛ぶ鳥を眺めた。目を閉じて風に吹かれる。最高にいい気分。

左隣のベンチに小さな女の子とお母さんが座った。女の子はお母さんに『たまには宝探しして帰ろうよ。』なんて言っている。

たまらなく微笑ましい。


''たまには宝探しして帰ろうよ。''


ひとりで呟いてみた。今度は、手をつないで隣りに並んで歩く人にはしゃぎながら言ってみたいくらいかわいい台詞だ。忘れずに覚えておこう。


お参りし、身体に良さそうな食材を買い、実家に立ち寄った。

曾祖母、祖母、父の仏壇にお線香をあげ、手を合わせた。

写真の父がちょっと笑ったように感じた。だからわたしも、ちょっと笑った。


~今夜の献立~

若竹煮

はりはり大根

鶏のつくね

豆腐と揚げの味噌汁

ごはん


ほんとに、これからは意識的にきちんとした食事を心がけていこうと思う。


おやすみなさい。良い夢を



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春の隅田川